behindness

自由の中で

世の中

この自分 その自分 あの自分

 


どの自分でも絶対にうまくいかない

一時的にうまくいった事を感じるだけ

 

 


ああなれば そうなれば こうなれば


どうなっても満足は続かない

前との比較を感じている間だけ

 

 


とことんやりたい事をやって、なりたいようになってみないと自分は納得しないかも。

 

 

でも多分薄々どっかでみんな感じてると思う。

 

 

 


自らが分かれると書いて自分

自分が大きくなると、自らが大きく分かれる

それはとっても強い苦しみ

 


そしてどこかに救いを求める。

 


そして、そんな自分が変われば…と同じサイクルにハマる。

 


輪廻転成って本当はそういう意味なのかも。

 

 


神とか、誰かとか、何かとかを信じるのも、その間自分から離れる事で、楽になるんだと思う。

 


本当は自分はいないのに、いる事を感じるゲームの世界

 

本当は救われてるのに、救いを求めるゲーム。

 

 


それがこの世の中

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「分かった」のフィルター

 究極のリアルは誰も知ることができない

 

 「分かった」をつかむことで、もう違っている

 

 「自分は知っている」がフィルターになって、見えなくなる

 

 「自分が知っている」のは、究極のリアルの概念でしかない

 

 なにも知らないという自由

 

 間違うことも間違いではなくなる

 

 違うことも、違うことではなくなる

 

 

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 深刻さ、暗さ。

 

 それは影

 

 自分の影

 

 自分という幻想がはっきりしてくると、そこに影もはっきりと映る。

 

 自分という幻想が薄らいでいくと、同時に影も薄らぐ。

 

 影は幻想。

 

 リアルに感じる幻想。

 

 本当は光しかない

 

 影は光の遊び

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感性

 感性がリアリティーを察知する。

 

 知識で見る世界は、そのままの世界を見ているというよりは、知識というフィルターを通して世界を見ることになる。

 

 そのフィルターが分厚いと、フィルターしか見えていないことになる(ファンタジーの世界)。

 

 もはや世界は世界ではなくなってくる。

 

 ありのままを見る時に知識は全く必要ない。

 

 感性がリアリティーを察知する。

 

 情報は感性によって嗅ぎ分けられる。

 

 本物と偽物があるとしたら、本物は自然。偽物は不自然。

 

 これを感じる感性が、リアルへの指針。

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子供の楽園

子供の楽園は、何かを教える人も何かを教わる人もいない。

 

 自由が自由に表現されているだけ。

 

 させることもさせられることもない。

 

 だけどそこに、鳥たちが同じ方向に飛んで行くように

 

 自然な規律が生まれる気がする。

 

 愛が子供たちを案内する。

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