behindness

自由の中で

なーにも問題なし

 ぜんぶがここで起きてる

 

 超シンプルでこれしかないんだけど、これが見えなくなるんだよね。

 

 自分が生きてるという感じがどうしても残るしね。

 

 けどそれさえも、ここで表現されてることだし、これ以外ありえないし。

 

 分離さえも全部の表現。

 

 だからなにも問題なしw

 

 

 解放を求めることも、起きてることだもん。

 

 苦しさもね。

 

 

 ふっと自分が消える瞬間は、「ああぜんぶだ」って感じで意味もなく楽しくなる。

 

 ん~この感じ♪ってキープしたくなるよね。

 

 でもできないの。だってそれが起きてるだけだから。

 

 

 なんにもとっておけないんだよね。

 

 ミラクル♪菜穂ちゃんは表現がうまいねw

 

 全部がここで起きてるよ~~

 

 ぜ~~~んぶなんだよ~~~(^o^)

 

 う~れしい~~☆☆☆

一体全体

これをやってるのは誰なんだろう

 

 

誰が指を動かして、誰が画面を見てる

 

 

それは自分だよって思うかもしれないけど

 

 

じゃあ誰が自分だって思ってるのかな

 

 

誰が頭を使って

 

 

誰が体を動かしてるの?

 

 

自分なの?自分をやってるのは誰なの?

 

 

考えてるのは誰なのか

 

 

自分は一体どこにいるのか

 

 

なにがこれを書いてるのか

 

 

あたり前に自分だって思ってるし

 

 

あたり前に自分だって感じてるけど

 

 

ほんとかなぁ

 

 

一体いつ自分が生まれて

 

 

一体いつ今になったのかなぁ

ブログを書く理由

 自分がやってるっていう感じがあると、やることがどんどん混乱する方に向かってくんだよね。。悲しいことに。

 

 だから、なにかをしようとするのは止めようと思う。

 

 そう思ってたこともあったなぁ、、そういえば。

 

 混乱が起きたり、何の問題もない感覚で満たされたお風呂に入ってるような感じだったり、ほんといろいろ忙しいw

 

 でも、ここに書くときは、書こうとしないようにしてる。

 

 これはブログ書くときは結構そうなことが多い昔っから。

 

 だから好きなのかもしれないね。この感じが。

 

 何年も書き続けてる理由かも。

 

 そうじゃない時もあるけどね。最初はそうで、途中からそうじゃなくなることもよくあるかもww

 

 どっちにしろ、これが起きてるんだけど、ね^^

 

 

 

ほんとはもっと

 ほんとはもっと遊びたかったんだよね。

 

 いろんな事に挑戦していたかった。

 

 僕の場合はことごとくできなくなっていった。

 

 ほとんどが、体の不自由。全部かもしれない。

 

 そして今も。

 

 だからこそ、体を治すという仕事に就いたのかもしれないね。

 

 ・・・

 

 ほんとは思いっきりいろんな事やっていたかった。

 

 でも、体がいうことをきかなくなる。

 

 それは、ここに連れ戻すために起きてるように思える。

 

 でもきっとみんなそうなんじゃないかな。

 

 物事がうまくいかない人ほど、ほんとうはリアルに強く引っ張られてるんじゃないかって思うんだよね。

 

 それがパワーなんだよね。そこからの。

 

 だけど、自分は反発する。

 

 もっともっとって。

 

 これでもかこれでもかって。

 

 まだだ、まだだって。

 

 僕もおんなじ。

 

 だけどそれも、そこから起きてることだよね。

 

アイデンティティーというボロい頑丈な服

自分がいて、その自分ってさ、今までの生きてきた過程で身に付いてきたもので、何枚も何枚も着込んで、鎧までつけてw

 

それが自分っていうものだった。

 

ぎゅーっと固く緊張して維持してるんだ。それも無意識に。

 

それが少しずつ意識に変わっていって、これを着込んでたんだって。

 

この古い服は、かなり重くて、動きにくくて。

 

自分っていう服が自由を奪ってたんだ。

 

脱ごうったって脱げないんだ。脱ごうとしてるのが自分だから。

 

服に服は脱げないよねw

 

でも、そこに気がついてくるとだんだん脱げていく。

 

脱ぎたくて脱ぎたくて仕方ないかもしれない。

 

そうやってもがくことが苦しみになる。

 

服が服だと気づいたら、なくなってくしかない。

 

ただの服だったんだってことに気がつく。

 

ボロボロの汚い服wこれ全部。このこれが全部、ただの服。

 

衝撃だよ。。これが元だと思ってた。

 

だから必死。

 

でもこれじゃなかった。

 

生きてるのは服じゃない。

 

自分っていうアイデンティティー、思い込み、作り出してるイメージ、なんていったらいいのか。

 

これ全部違った。このこれ全部。ガラガラガラって崩れてた。

 

そこにすごく力を使ってた。

 

ガラガラガラガラボロボロボロボロボロ

 

アイデンティティーの崩壊

 

そこにリアルが剥き出しになる

 

ずっとずっとここにいる。

不足感は不足感にしかならない

 今、なにもしていなくても満たされているか。

 

 満たされるために何かをしているのなら、結局満たされずに疲れるだけ。

 

 不満足感は満足感には繋がらない。

 

 一生懸命何かをすることは、不満足感を忘れさせてくれる。

 

 忘れてる間だけ、またすぐに不足感がつきまとう。

 

 ・・・

 

 何もしていなくても満たされている状態から、何かをする時、その時は自分が何かをしているっていうよりも、その行動が自然と起こっているっていう感じになっていると思う。

 

 もともと満たされていたら、何かをする必要はなくなる。

 

 この体を保つためには、生活するためにはしなくちゃいけないこともあるだろうけど、そういう事を言っているわけではなくて。

 

 

 今、ここにいることにどれだけ意識を合わせていられるか。。

 

 状況が、そこに導いている。

 

 自分が現れては混乱し、また戻り、遊んで戻っての繰り返し。

 

 

 満足感から現れる行動は、なにをやっても満足に行き着くんだよね。

おしゃべり

 今は常に新しいんだね。

 

 いつも新鮮なんだね。

 

 それがどのくらい感じられてるだろう。

 

 いろんなことがあたりまえになってくると、それが感じられなくなるよね。

 

 ・・・

 

 僕らってさ、なにもしてないと退屈なんだよね。

 

 だから何かしていたいと思ってるし、誰かと繋がりたいと思ってる。

 

 そうやって、なにも問題がなかったところから、問題を作り出したりするよね。

 

 そんなことだらけじゃないかな、人生w

 

 そこに喜びがあったり、辛さがあったり、寂しさがあったりして、そんな中少しでも楽しい方にやっていこうとする。

 

 想像の中はいつも楽しい結果を期待しているんだけど、実際は・・・

 

 ・・・

 

 僕らってどこかで幼い時の感じを覚えてて、その自由感をまた味わいたいと思ってる。

 

 小さい時って、自分に対する制限ってあんまりなくて、やりたいようにやって話したいように話してる。急に奇声を発したりねw

 

 親とか大人から、これはダメとかって規制はあっても、自分が自分を規制することって幼い時ほど少ない。

 

 だから制限だらけの大人になった今から比べると、途方も無いくらい自由で生き生きしていたように感じる。

 

 だけど、これってある程度この規制は外していけるし、実際僕はある時点からかなり幼かった頃に近づいていってるように感じてる。急に奇声を発したりはしないけどねw

 

 周りの社会に合わせないと人ともうまくやっていけないし、生活もままならなくなるから、簡単ではないんだけど、そういうことと引き換えに僕は幼い時の自由感を求めてやってきたんだよね。

 

 それがいいとも、悪いとも言えない。

 

 実際息が詰まるようなことばっかりだったしね。

 

 でも窒息しかけた中を過ごしてるうちに、どんどん実はその薄い空気は、周りの社会が作り出してるんじゃなくて、自分で息を止めてたんだって事が分かってきた。

 

 今でも痛いこととか辛いことはあるけど、窒息するような苦しさはほとんどなくなってきているなぁ。

 

 自分が自分を規制してるんだよね。ほんとは。

 

 結局環境のせいとか、社会のせいとかじゃなくて。

 

 ・・・

 

 今日はここまでかな。

 

 やっぱりブログ書くのは好きだな。

 

 誰かと喋ってる感じで。誰だか知らないけどw

 

 前のブログ7年間続けてきたけど、綺麗サッパリ消しちゃった。

 消す前に最初から見直してたけど、いろんな事があったんだなって思ったし、そんでやっぱり、求めてたものってなにも変わってなかった。

 

 またこうやって話す感じで書いていこうと思います^^

 

 それではノノ