探求者
僕は探求者。きっとみんな探求者。
形は違っても、ずっと何かを求めて、彷徨う探求者。
求めるものは手に入った?
求める幸せは感じてる?
NOOOOO!!って聞こえた(笑)
これから今からって頑張ってるか、諦めてるか。
でもほんとはどっちだっていい。
でもそうは思えないくらい、枯渇感があるかもしれない。
誰に向けて書いているのか。
きっと自分のような人に向けてだね。
苦しくて苦しくて、苦しみぬいた時の自分に対して書いているのかもしれない。
敏感じゃなければ、そこまで感じなくてもいいのかもしれないね。
何かを知ってる記憶があったり、何かを感じる敏感さがあると、そこに感じた安らぎと、そうではない現状とのギャップを感じるから、なおさら苦しい時があるかも。。
なにも言えなくてもどかしいけど、どこに向かっても、なにをしでかしても、大丈夫だよ~、大丈夫だったよ~(^^)って言ってあげたい。
完成から離れる旅
今日はなにも書くことないんだけど、なにか書きたいな~♪と思って
・・・・
やっぱりなにも書くことないやw
リアルなところってほんと言葉にならない。
でも「これ!」って確かにあるんだけど、「これ!」としか言えない
それを言葉に変換して遊んでるんだけど、どれだけ言葉を並べようが、消して「これ!」を伝えることはできないし、伝えてる感覚がある時点で、もうそれではなくなるわけ。
みんなそれを何処かの誰かから学ぼうとしたり、自分探しの旅なんて言ったりして、どこかに見つけようとするんだよね。
でもそれはどこに行っても見つけられなくて、誰からも教わることはできない。
もし、教わることができたら、もうとっくにみんな何の問題もなくなってるはずだからね(^o^)w
どこにも見つからないんだけど、もうこれはすでにすべてがこれで、全てが完成されているんよね。
ただ、それが自分っていう幻想には未完成に感じるから、完成するためにこれから離れていく旅をするわけ。
なんて冗談みたいなことなんだろうね(^o^)
だから、それが気がついたときに、笑いが止まらなくなったりするんだよね(^o^)(^o^)ww
幻想から覚める瞬間、なにも問題なんてなかったんだって、問題を作り出してクリアしていくゲームが起きてたんだってことが明らかになるんだけど、またいつのまにかゲームの中に没頭してたりするんだなぁ
だけどそれもこれも、すべてがすべての表現だから、本当はなんにも起こってないところがリアルなわけで・・・
って、なにも書くことないっていってたくせにいろいろ湧いてきたなぁw
でもこれは、どうやったって言い表せないね^^
人生マリオブラザーズ
リアルは本当に掴めないんよね
自分がいるって感じてるところが幻想だから、幻想がなにを掴んだとしても幻想だもんね。
でも、自分がいる感覚は誰もが物心ついた頃からあるわけだから、それが悪いとかじゃなくて、この感覚もリアルのゲームなわけだし。
マリオみたいなもんだよね^o^
ステージ(問題)をどんどんクリアしていって、ピーチ姫(達成)を目指して進んでいく感じ。
クッパ何回倒してもそこにいるのはキノピオで、あれ、なんか違うな~ってw
最後はピーチ姫を助けて全クリなんだけど、今度はマリオ2が出て、3が出て、どんどん表現は進化してるけどやってることは一緒でw
このゲーム(人生)をクリアしていくことをみんなやってるんと思うんだけど、本当に求めているのはゲームが終わることなんだよね。つまりゲームオーバーかな。
それは、この体が死んでなくなるということじゃなくて、ゲーム(幻想)が終わったときに、リアル(全体)が残るって感じ。
でも気づいたらコンテニューしてるわけ(^o^)(^o^)ww
でもそれは、マリオ(自分)がやってるわけじゃないから、マリオには選択することができないわけよね
多分、解放(悟りきる事)って、電源が切れちゃう事じゃないかな。例えるならね。
もうゲームができなくなるような状態。
ハプニング的に、親の掃除機がコンセントに引っかかったりとかさ(^o^)ww
・・・・・・・・・・・
マリオもさ、「もしかしてこれってただのゲームなんじゃね??」って気づいてきたら、そこまで深刻にならないと思うし、ゲーム自体を楽しみだすと思うんだよね~
ま-あくまで例えだけど、なんか似てるな~と思って書いてみたよん♪
脳天気
愛(全体)が言葉として表現されて、分離がその表現に対して、良い、良くないを判断する。
これが両方起きている感じ。
愛と怖れの狭間にいる感覚。
このストーリーとしての現実が良くなってるように感じると、ずっとこのままでいたい、この感覚を失いたくないっていう怖れと、それを表現したことの責任感を感じたりする。
分離感(不足感)が強まってくると、評価とか、責任とか、どうしようとか、こうしなきゃとか、そうあらなきゃとか、いろんな感覚をリアルに感じるよね。
だけど、だんだんとその分離感が弱まってくると、そういう感覚が起きても長続きしなくなるし、そこまで大きな苦しみにはならない感じ。
分離感(自分がいる感覚)が強いと、ほんとに苦しいよね。もうその苦しみに慣れてて、分からないかもしれないし、いろんな事をしてごまかしていることが当たり前だから、うまくごまかせてるかもしれないし。
でも、敏感になってくると、ごまかせなくなっちゃう。それこそ、この期間が一番苦しい。
あまりに苦しくて、この世は地獄かー!!なんてよく感じてたよ。
真実を強く求める人ほど、この期間はある意味避けられないのかもね。
普通にしてても、病気だったり、怪我だったり、大切な人を失うことだったり、この苦しみの中の幻想の自分には、これがリアルとしか感じられない。
だけど、それが幻想だったって、リアルじゃなかったって、自分が自分だと感じてたのは、ほんとはそうじゃなかったって、感覚的に何かが気づき始めると、どんどんその幻想の、雲のような暗さが晴れていく感じで、だんだんと暗い世界が明るくなってくるように感じる。
この雲って、実はあるわけじゃなくて、でもあるって感じることがリアルに感じるわけなんだけど、ほんとは晴れ渡った何もない空があるだけなんだよね。
でもそこに雲(暗さとか重さ)を感じられることが、このゲームの仕組みだよね。
そんな感じで、晴れたり曇ってきたりを繰り返してることが、ここで起こっていること、なんだよね。
でも晴れが多いんだ♪だから脳天気なの☆☆☆
狭間
いま、自分がいる感と、自分と世界が分離していない感じが繰り返し起きてる感じで、分離と全体の狭間な感じがしてる。
僕の性格は理系なので、こうでこうで、こうだから、だからこうみたいな風に書きたくなるんだよね。
だけど、そういう理論ではないところが、もう一つの現実、リアルなところだから、理解できることではないんだよね。
前回書いたストーリーも、そういう展開で今に至ったように感じるけれど、それもトリックなわけで、ストーリーの延長上にそれがあるわけではなくて。
本当はもうすでにあるこれが全てで、それ以上は全部想像で、幻想。
実はこれさえも幻想で・・w
なにもないんだよね。なにもなくて全部があるっていう、それ以上説明できない感じ。
そこにストーリーとしての自分がいる感が立ち上がってくる感じで。
不足感→満足感→不足感不足感→満足感みたいなw
ただ、不足感の周期が少しずつ減ってきてるような感じがしてる。
でもね、エネルギーが全体から湧いてくる感じが多くなるから、意味もなく嬉しいっていう感じがするんだよね^^
楽しいだけじゃないんだけど、ずっと分離感の中にいると、イライラとか、鬱憤とかがどんどん溜まっていくような気がする。
エネルギーが停滞しちゃうんだろうね~~
そうなると、どんどん感じが暗~~くなっちゃうからさ。
それも完璧なんだけどね☆^^☆b
世界が一変するまでのストーリー
最近ね、目の前に表れる人たち、僕が関わる人達が本当にいい人ばかりで、関わるのが嬉しくて仕方がない。
でもそれって、自分の感じ方が変化してるからだと思うんだよね。
よくさ、「人のいい所を見よう」とか言うやん。
でも、僕にはよくわからなかったんだよね。
どうしても、嫌なところとかなにか変だなっていうところにばかり目がいってたの。
それは感性が鋭くなればなるほど引っかかる場所が増えていって、どんどん人と合わなくなっていった。
だからあまり人とかかわらずに1人で引きこもってることがほとんどだった。
どこに行くのも1人が多かった。
それがさぁ、いつの間にか気づいたら人のいい所ばかり見えてくるようになってた。
自然とだよ。
そして、今まで散々気になってたその人の嫌な所、不足してるように感じたりとか、違和感、変な感じっていうのがもうあまり見えてこないの。
ていうかどうでもよくなってるんだよね。
勝手にスルーしてる感じで、意識しないと見えてこないって感じ。
気づいた時にはそんな感じで、それからは人といるのが楽しくて仕方がなくって、もちろん誰でもってわけではないと思うんだけど、関わる人達がみんな最高なのw
それが今まであまり関わってこなかったいとこだったり、中学の時の同級生だったり、特別に新しく出会う人ってわけじゃなくても、特別な話をするわけじゃなくても、もうね、楽しくて楽しくて仕方ないw
前はね、自分が頑張って頑張って、人と真剣に向き合おうとか、自分が目の前の人を変えていくんだ!幸せにするんだ!って意気込んでたりしたんだよ。
たくさん感動したり、涙を流して抱き合ったりとかすることもよくあったし。
だけどね、それが悪いわけじゃないんだけど、ほんとに一時的で、しかもすごく大変。
拳を握りしめて死ぬ気ぐらい気持ち高めてやってきたの。
今わかることは、「自分が変えるんだ!」ってやってたのは、「自分が!」っていう自己意識がものすごく強まっていた感じだったなって。
でも本気で向き合ってる時はお互いが溶け合ってる感じでそこに一体感が感じられて感動が起きるんだけど、その後は夢から覚めたかのように元に戻っていくのw
で、その感覚を求めて、また本気になる。
アップダウンの繰り返し。それが人生っていうドラマなんだけど、ほとほと疲れてね、でなんか違和感なんだよね、そうやってることが自然じゃないっていうか。
その違和感がだんだんはっきりしてきたの。
そして、子供の頃から感じてた、本当に求めてたことのメッセージ(エネルギー)に触れた時に、フッと何かが気がついたの。
あっそうだ。って
そして、自分がいるっていう感覚、自分と世界が離れている感覚が苦しみの原因なんだってことが、理屈として理解できた。
それまでやってきたことは、自分がすごくなりたいとか、自分が成長したいだとか、お金持ちになりたいだとか、リーダーになりたいだとか、全部が主体としての自分感を強めることばかりをやってきたんだよね。
主体が強まれば、客体が強まる。
だから、自分が重要になれば、外の世界(自分以外)が重要になるわけ。
だからなんとか自分を変えて、世界を変えていかなくてはいけないっていう切迫感が強まるの。
自分がコントロールしなきゃって。
でもうまくいかない。他人からの影響が大きいから、大きな影響から自分を守らなくてはいけない。悪い情報は避けて、いい情報だけを取り入れようとする。
消して悪いことじゃないんだよ。
でもそうなる仕組み、生きづらくなる仕組みなんだよね、これって。
自由を求めてたはずなのに、どんどん不自由になっていく仕組み。
だんだんとそれに気づきはじめたの。
書くのに疲れてきたからここまでにするね^^
苦しみはセンサー
みんな気づいてないかもだけど、求めてることって心底では、安心だと思うんだ。
気づいてないかもだけど、いつもどこかで怖れを抱えてるんだよね。
心底安心できないんだよね。
だから常に何かを求めてる。
その何かって分かるようで分からない感じで
いつもそれを求めてる。
でもそこまではっきり感じてる人も少ないかもしれないね。
大抵は無意識にそれを紛らわし続けることが当たり前で疑いもしないんだと思う。
そして、物事がうまくいってて、表面的ないい人生を送ることが最高の紛らわしかもしれないね。
だけど、悲惨な状況も同じように紛らわしのツールになるんだよね。
いい状況にしろ、悪い状況にしろおんなじなんだよね。
ようは、表面的にどんな状況であっても、心底に求めてるものを感じてるかどうかなんだと思うし、そこに意識がいったときからが、本当のことを探す旅のはじまりはじまり~~♪ってかんじ?
そこに辿りつくための最高のセンサーが苦しみだと思うんだよ。(ほんとはだれも辿りつけないんだけど辿り着く人がなくなるってことだから)
苦しみをはっきりと認識してる人ほど、そこに対して敏感だから、いいセンサー持ってるって例えでした、ちゃんちゃん♪